2016年度卒業論文・小花海月(髙田ゼミ):神戸居留地の歴史的変遷ー貿易の拡大とオリエンタルホテルの機能変化を中心にー

私の卒業論文は、神戸居留地の歴史に関するものです。本稿での課題は2つあり、第1に神戸居留地がその周辺の人々に対してどのような役割を持っていたか。第2に長期間、居留地内にあり続けたオリエンタルホテルの機能、なぜ存続したかです。第1の課題に対しては、神戸港で行われた貿易などを参考にして考察し、第2の課題に対しては、ホテル経営者の経営理念などを参考にしました。結論として言えることは、文化面で受動、浸透、発信の流れがあると言うことです。つまり神戸に西洋文化が根付いたのは、居留地が存在したからこそ、またそれが神戸独自の文化となり、発信されていきました。

J.W.ハート「神戸外国人居留地計画図写」(出典:田井玲子(2013)『外国人居留地と神戸―神戸開港150周年によせて』神戸新聞総合出版センター、36頁)

2016年度卒業論文・中作莉乃(出口ゼミ):地域社会の講集団に関する一考案-兵庫県加古郡播磨町古田の大歳講を事例に-

「講」とは、平安初期に起こった「法華八講」に始まるとされている。僧衆が仏典を講読・研究する集団であったが中期以降、追悼供養の信仰の広まりや神仏習合の流行などから多種多様な講集団が誕生した。現在でもお伊勢参りや富士講等、全国的に様々な講集団の活動が確認できるが、戦後その数の減少は著しい。

本稿では、私の住む播磨町古田に今なお現存する複数の講集団を調査し、文書をひもとき、聞き書きをしながら、その歴史や活動実態から現存する理由を探った。また、地域社会における講集団の役割と価値の変化、今後の在り方について大歳講を中心に考察した。

大歳天保古文書

写真:大歳講文書「葵天保十四年 大歳神頭人順番帳 卯正月吉良日」

2016年度卒業論文・ 保倉弘徳(出口ゼミ):多死・人口減少社会に直面する寺院ー新潟県上越市稱名寺を例に挙げてー

「住職兼務・不在1万2000寺 過疎後継者不足で10年間で434寺消滅」
朝日新聞に掲載されたこの記事を目にし、将来、実家の寺院を継ぐ立場にある私は大きな不安に駆られた。卒業論文のテーマが決まった瞬間である。フィールドワークを重ね、そこで得られた生きた情報をもとに、近世文書をも読み解きながら人口減少の進む地域で寺はいかに住民とともに生きるのかを考えた。民俗学、地理学、 歴史学を横断する内容の濃い卒業論文に仕上がった。

写真:出口ゼミで共に学び、互いに高め合った仲間との一枚

卒らぼ:歴史文化学科の卒論発表会

2017年2月24日、4回生による卒論発表会が昨年度に引き続き行われました。今回は、1、2回生の参加も増え、昨年に比べて活気が増しました。卒業論文とはどんなものなのかというだけでなく、先輩方が大学生活の中で何を思い、考えて過ごしていたのかが垣間見えるとても有意義な会でした。ビデオでの教授と先輩の対談では普段は聞けないような、卒論や口頭試問の裏側も聞くことができ、より一層卒論への意識が高まった時間となりました。(3回生・椿野佑太)

2015年度卒業論文・南菜摘(佐藤泰ゼミ):平安時代の婚姻儀礼―正妻の決定

平安時代の一夫多妻制において、正妻がどのようにして決まるのかという疑問を持ち、それをテーマにしました。まず婚姻について詳細に知るために、当時の日記などを用いて婚姻儀礼の移り変わり、儀礼の構成要素について調べました。そして、それを踏まえて物語の描写から正妻がどのようにして決定されているのかについて考察しました。その結果、正妻の決定には親の後見の有無と周囲の認識が大きく関わっているのではないかということが分かりました。

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2015年度卒業論文・丸尾愛(佐藤泰ゼミ):小山評定の検討

小山評定とは、慶長5年(1600)7月25日、関ヶ原合戦の直前に下野国小山で開かれたと言われる軍議である。徳川家康を中心とする東軍が形作られるために不可欠といえる小山評定であるが、近年になって存在しなかったのではないかという新たな問題提起がなされるようになってきている。小山評定は実在した出来事であったのか。本稿では徳川家康が諸将へ宛てた書状や『慶長年中卜斎記』などの史料を検討することにより、小山評定の実態を探った。

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2014年度卒業論文 林孝洋 (佐藤(公)ゼミ):アメリカにおけるリソルジメント支援団体の歴史的役割 -ガリバルディへの金銭・物資の提供を中心に-

私は卒業論文でイタリア統一期のガリバルディの南イタリア遠征について研究しました。今回はイタリアの統一を内部からの視点ではなく、外国との関係性の中から分析しました。主にアメリカの市民団体を研究対象とし、アメリカの市民団体が国境を越えて、イタリアの国家統一運動に参加する意味を研究しました。19・20世紀は「ナショナリズムと国家の世紀」であり、様々な「国家」が誕生しました。しかし、その誕生は自国のみで行われたことではなく、国際的な関係性の中で行われたことを再確認しました。

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写真:ガリバルディ

(引用元:「MUSEO NAZIONALE DELLA CAMPAGNA GARIBALDINA DELL’AGRO ROMANO PER LA LIBERAZIONE DI ROMA」HPより)

2014年度卒業論文 谷原和真(出口ゼミ): 大師講と但馬高野山団参 ―但馬地域の真言宗寺院と弘法大師信仰― 

私の実家は但馬地域の真言宗寺院であり、その環境を生かそうとこのテーマを設定した。真言宗信徒に限らず、弘法大師を信仰する人は多く、その形も様々である。そして但馬地域にも独特の弘法大師信仰が存在する。それが但馬高野山団参である。年に一度、但馬地域の真言宗寺院、檀信徒が一団で高野山を参拝する。昭和23年に始まり一度も途切れることなく現在まで続いている。なぜ70年もの間、同団参は続いているのか、それは当地域の真言宗寺院の努力の賜物だった。寺院に生まれ育ち、将来は継ぐ立場として、卒論作成を通して進むべき道がより明確になったと感じる。

写真:霊場参拝出発前 大正7年 当山にて

2014年度卒業論文 齋藤水貴(東谷ゼミ): 弘前藩宝暦改革における政策の目的と展開―基本方式の検討を中心に―

近世中後期には、各藩において財政窮乏化に伴う藩政改革が行われた。陸奥国津軽郡(現在の青森県の西部)に位置する弘前藩も例外ではなく、宝暦3年(1753)から、藩政改革がはじまった。この改革は、従来の研究では、宝暦五年に起こった大凶作を契機に、改革方針が変化したと結論付けられていた。

しかし、大凶作前後の政策内容を史料から検討した結果、大凶作前後での改革方針は変化していないことが明らかとなった。自治体史に掲載されている史料を主に取り上げたが、「弘前藩庁日記―御国編―」という史料に関しては、弘前市立図書館へ足を運び、原物の写真撮影を行った。

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※写真は弘前城内にある「藩庁日記」を保管した蔵の跡

2014年度卒業論文 岩田桃子(佐藤(公)ゼミ):アメリカ印象派普及の立役者 メアリー・カサットとその周辺

日本でも圧倒的な人気を誇る印象派の絵画。アメリカにおける印象派普及の立役者として名高い人物にメアリー・カサットという人物が挙げられる。彼女は、画家でもありコレクターでもあり、アドヴァイザーでもあった。彼女の助言をもとにアメリカのコレクターたちは印象派の絵画を収集していった。

彼女の助言の内容とはいかなるものだったのか。彼女自身が残した書簡資料をもとにアメリカにおける印象派普及の実態を探った。

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図:「孫たちに本を読んでやるカサット夫人」

(1880年、ミニー・カサット氏所蔵)

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