2022年度卒業論文・山城理奈(佐藤ゼミ):軍書における浅井長政の評価の比較

私は、戦国時代の北近江(現在の滋賀県)を統治した浅井長政について研究しました。現代において、浅井長政は織田信長の妹である市を娶った後、信長に背いた「謀反者」として広く知られています。長政は文武に秀でており信長と互角に戦い、周囲に大きく影響を与えました。私は、成立期の異なる軍書である『信長公記』『信長記』『浅井三代記』の三冊を比較し、引用の部分や表現の異同を調べ、浅井氏の評価は著者ごとにどう異なり、どう変化していくのか考察しました。また、先行研究との評価の違いも自分なりに考察しました。比較のため史料の重要な部分はエクセルで一覧表を作り、別表として論文に添付しました。大変で時間のかかる作業でしたが、こだわったことで満足のいく論文となりました。

近藤瓶城 編『史籍集覧』第6冊,近藤出版部,大正8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3431173 (参照 2023-03-08)

2022年度卒業論文・平松万奈(髙田ゼミ):フランス三色旗の誕生と変容-デザインとレトリックの視点から-

本論は、大きく大革命期、19世紀、第二次世界大戦期に分けて構成されており、三色旗の誕生とそれからの変容をデザインとレトリックの視点から論じている。フランス三色旗の誕生は、フランス大革命期にまで遡る。この標章はパリで生まれたが、「革命祭典」という場によって国全体に広められていき、この3色がフランスにふさわしいということで国旗に定められた。ただ実際に、「国民」全体に三色旗が定着したわけではなかった。ここで重要になったのが、国旗をめぐる人々の「衝突」である。三色旗には、対抗関係にある標章が存在しており、それが「白旗」と「赤旗」であった。本稿では、これらとの衝突の度に、三色旗が人々に記憶されていき、徐々に三色旗が定着されていったと主張する。

H.F. フィリッポトー『1848年2月25日、市庁舎前で赤旗を退けるラマルティーヌ』(1848年頃) ※サイト「Paris Musées Collections」より

2022年度卒業論文・岸本真結子(髙田ゼミ):1960~70年代におけるファッション感覚の変化と女性の自立-『anan』と『装苑』の分析から-

1960~70年代は自分で作る仕立服から売っている既製服への転換の時期であり、その転換の時期に創刊した『anan』、第二次世界大戦前から続く『装苑』の2誌を取り上げ、それぞれの異なる特徴や役割について考察した。『anan』は、当時当たり前であった仕立服を一切排除し、既製服のみの紹介を行った。また既製服だけでなく、強気な文言で女性の自立を支持する姿勢や女性のひとり旅の推奨などによって、当時の女性が求めた自立・解放に大きく貢献した。『装苑』は服を作るために必要な情報を掲載した。しかしその仕立服も既製服のような新しいデザインや形が多く取り上げられ、新しい存在を無視することなく、読者に寄り添う形で紹介していた。女性の社会性や環境を大きく変える流れを作り出した転換期は、まさにファッション史における重大なターニングポイントである。

『anan』創刊号表紙(1970年3月20日号)

2022年度卒業論文・岡本亜有花(髙田ゼミ):近代日本における女子の理想 ―音楽のたしなみと女子の生き方―

20世紀前半の女子就学者は、学校外での学習で、音楽などの「たしなみ」を身につけることに力を入れていた。それは女子の「幸せな」結婚生活のためであった。近代家族の女子の役割の1つは、一家団欒に寄与することであった。音楽は、家族の娯楽、夫との趣味の一致、婦女自身の慰みになり、家内和睦に繋がる。また、楽器を習うことはお金がかかるため、教育にお金をかけているとアピールすることに繋がる。それは女子のイメージとして抜群で、音楽のたしなみを身につけることは花嫁稼業とされていた。 女子の幸せ=結婚だったこの時代、女子本人はともかく、親も自分の娘にふさわしい、あわよくばワンランク上の結婚相手を期待していた。同じ学歴ならば、高い相続文化をもつ女性の方が配偶者の経済力が高くなることが社会学で証明されている。たしなみは婚姻を通じて経済力、そして幸せに変換されていたのである。

『婦人グラフ』 国際情報社 1927年4月号より転載