本論は、大きく大革命期、19世紀、第二次世界大戦期に分けて構成されており、三色旗の誕生とそれからの変容をデザインとレトリックの視点から論じている。フランス三色旗の誕生は、フランス大革命期にまで遡る。この標章はパリで生まれたが、「革命祭典」という場によって国全体に広められていき、この3色がフランスにふさわしいということで国旗に定められた。ただ実際に、「国民」全体に三色旗が定着したわけではなかった。ここで重要になったのが、国旗をめぐる人々の「衝突」である。三色旗には、対抗関係にある標章が存在しており、それが「白旗」と「赤旗」であった。本稿では、これらとの衝突の度に、三色旗が人々に記憶されていき、徐々に三色旗が定着されていったと主張する。
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2022年度卒業論文・岸本真結子(髙田ゼミ):1960~70年代におけるファッション感覚の変化と女性の自立-『anan』と『装苑』の分析から-
1960~70年代は自分で作る仕立服から売っている既製服への転換の時期であり、その転換の時期に創刊した『anan』、第二次世界大戦前から続く『装苑』の2誌を取り上げ、それぞれの異なる特徴や役割について考察した。『anan』は、当時当たり前であった仕立服を一切排除し、既製服のみの紹介を行った。また既製服だけでなく、強気な文言で女性の自立を支持する姿勢や女性のひとり旅の推奨などによって、当時の女性が求めた自立・解放に大きく貢献した。『装苑』は服を作るために必要な情報を掲載した。しかしその仕立服も既製服のような新しいデザインや形が多く取り上げられ、新しい存在を無視することなく、読者に寄り添う形で紹介していた。女性の社会性や環境を大きく変える流れを作り出した転換期は、まさにファッション史における重大なターニングポイントである。
2022年度卒業論文・岡本亜有花(髙田ゼミ):近代日本における女子の理想 ―音楽のたしなみと女子の生き方―
20世紀前半の女子就学者は、学校外での学習で、音楽などの「たしなみ」を身につけることに力を入れていた。それは女子の「幸せな」結婚生活のためであった。近代家族の女子の役割の1つは、一家団欒に寄与することであった。音楽は、家族の娯楽、夫との趣味の一致、婦女自身の慰みになり、家内和睦に繋がる。また、楽器を習うことはお金がかかるため、教育にお金をかけているとアピールすることに繋がる。それは女子のイメージとして抜群で、音楽のたしなみを身につけることは花嫁稼業とされていた。 女子の幸せ=結婚だったこの時代、女子本人はともかく、親も自分の娘にふさわしい、あわよくばワンランク上の結婚相手を期待していた。同じ学歴ならば、高い相続文化をもつ女性の方が配偶者の経済力が高くなることが社会学で証明されている。たしなみは婚姻を通じて経済力、そして幸せに変換されていたのである。
「れきぶらまっぷ」作製秘話:Part.1企画の立案~採択まで
「れきぶらまっぷ」企画の発端は、私が2回生時に「地理学・民俗学資料研究Ⅳ」(担当:鳴海先生)で企画書を作成するという授業を受けたことでした。歴史文化学科での学びは社会と直接関わり難い印象がある中、歴史文化の学びと社会をつなぐ企画を考えました。そして大学生活の中で、何か一つ「これをした」ということを作りたかったという理由から授業で考えた企画を実際に実践したいと考えました。鳴海先生に指導してもらいつつ、改善した企画書を学内助成の「父母の会・学生GP」に応募しました。一次選考の書類審査と二次選考のプレゼン審査を通過し採択に至りました。この過程の経験や培った力は、私の中で大きな財産となっています。(4回生・畑匡洋)
「れきぶらまっぷ」作製しました!By歴らぼ探検隊
私たち歴らぼ探検隊(歴らぼ地図班4名と有志9名)は、「2022年度父母の会・学生GP」に『甲南大生の為の歴史文化的ガイド@岡本界隈~歴らぼ探検隊、地図を作る~』という企画を応募して採択されました。その成果として「れきぶらまっぷ1&2」を作製しました。このまっぷは歴文生が実際に現地まで行って調査した大学周辺の歴文的ポイントを紹介しています。有名な場所はもちろん、道中で見つけたニッチな歴文的ポイントもあります。まっぷの地図・文章・写真・イラストは、鳴海先生の指導も得つつ、私達が作製しました。ほかの観光地図とは一味違う歴文オリジナルマップ。ぜひ手に取って、歴ぶらしてみましょう。(歴らぼ探検隊代表・4回生・畑匡洋)
歴らぼ通信19号発刊!
歴らぼ19号を 2023年2月28日付で発刊しました。編集は、 德留亜美(前代表・4回生)・畑匡洋(代表・3回生)・鳴海邦匡(教員)が担当しました。(鳴海邦匡)。
歴らぼ通信18号発刊!
歴らぼ18号を、 2023年2月28日付で発刊しました。この号は、歴史文化学科のことや教員の紹介号となっています。編集は、鳴海邦匡(教員)・新見まどか(教員)が担当しました。(鳴海邦匡)
2022年度・卒業論文報告会
2月最終日の28日に歴史文化学科の卒業論文発表会がありました。対面、ズームあわせて30名以上の参加がありました。今回は4人の先輩方の非常にユニークで専門的な論文を見聞きし、学年を問わず質疑応答ができたので大変有意義な時間でした。発表の後、先輩方からそれぞれの「卒業論文の書き方」を伝授していただきました。来年度には卒論を書く側になる私にとって、今回の卒論発表会は様々なヒントや“心持ち”を知れる機会でした。また、改めてこうした縦横の関係が非常に賑やかで交流しやすい歴文の風土に「歴史文化学科に来て良かったな~」と感じました。(3回生・河内琉嘉)
第2回「歴史総合」「地理総合」研究会開催
今年度から高校教育社会科に導入された新科目をどう教えるかを考える第2回目の研究会を、2月25日(土)に対面とZOOM併用形式で開催しました。参加は、学生、中学・高校・大学の教員約20名です。今回は「歴史総合」がテーマです。10年前に本学科を卒業された酒井優希(兵庫県立兵庫高等学校教諭)さんに、「歴史総合初年度の取り組みと課題」と題するご報告を頂いた後、1時間程議論を交わしました。生徒の授業アンケート結果の分析も交えて、この1年間の高校教育現場での成果と課題が具体的な形で明らかになりました。「歴史的思考力」や「主体的に学ぶ」とはどういうことか、成績をどう評価するか、さらに歴史教育の中高連携についても議論され、実り豊かな会となりました。来年度も引き続き、この研究会を続けていきます。(教員・髙田 実)
歴史の旅企画班:奈良巡検の感想
2023年2月24日(金)、新年度より発足予定の「歴史の旅企画班」活動の予行として奈良市へ行きました。興福寺では東金堂と国宝館を見学し、著名な阿修羅像を初めとする脱活乾漆の八部衆立像や十大弟子立像、旧山田寺の銅造仏頭、康弁作の天燈鬼・竜燈鬼像といった日本屈指の名作を拝観しました。久しぶりの興福寺でしたが、国宝館の密度の凄まじさにはいつも圧倒されます。東金堂のずんぐりとした四天王像とも久しぶりの対面、踏まれている邪鬼が結構ユーモラスな表情をしてて好みなのです。
五重塔が今年から修理に入るので、猿沢池との光景を目に焼き付けつつ高畑町へ。雨の中、白樺派を代表する小説家である志賀直哉旧居を訪問しました。志賀直哉自ら設計に携わったという空間は彼のこだわりが存分に反映されており、そのひとつひとつに注目しながら散策しました。その雰囲気の良さに「こういう家に住んでみたい」という声も続出。武者小路実篤や小林秀雄、堂本印象や亀井勝一郎など多くの文化人が訪れていたことから高畑サロンとも呼ばれているそうです。奈良には他にも東大寺観音院や日吉館といった学者や文化人が集う文化サロンが多くあったそうですが、今はないものも多く、そのような点でも貴重な場所だと感じました。
志賀直哉旧居を後にして、新薬師寺へ行きました。高畑は至る所に土塀などが残っていて非常に雰囲気の良い町だと感じます。新薬師寺の本堂には国宝の十二神将像と薬師如来坐像が安置されています。もちろん十二神将像も良いのですが、個人的には薬師如来坐像の方が好みです。大きく見開いた目、ぶっとく頼もしい手、ぶ厚い身体と鋭く刻まれた衣文などから感じる、とてつもないボリュームや内から外へ外へと気力を発散するかのような表現が非常に好みです。この像も今年6月から修理に入るそうなのでしばらくのお別れ。しっかり目に焼き付けることが出来ました。
その他、奈良ホテルを見学したり、ならまちを歩くなど、非常に充実した巡見となりました。観光客が戻りつつあり、人混みも増えてきましたが、高畑はその中でも比較的静かで落ち着いた雰囲気でした。もっと知られて欲しいと思う反面、人混みが増えるのも嫌なので今のままであって欲しいなとも思ってみたり……(2回生・山田伊吹)