博物館実習ⅠAの学外講義:大阪くらしの今昔館

2024年12月7日(土)、学芸員養成課程の博物館実習Iの一環として、大阪市立住まいのミュージアム・大阪くらしの今昔館を訪ねました。この館の展示は体験型であるため、大阪の昔の家の造りを間近で見ることができ、自分たちで触れたり、動かしたりすることもできました。また、細かい部分まで当時を再現するような工夫がなされているため実際に江戸時代にタイムスリップしたような感覚にもなりました。今回は町家衆(ボランティアガイド)による非常に丁寧な案内で、面白楽しく大阪の昔の町を学べました。 昔の人々は知恵を絞り、当時できる最大限の工夫を凝らし、現代の私たちに負けないくらいの技術が施されていることに感心しました。また、多くの外国人観光客も訪れており、日本文化が世界中に親しまれていることも実感しました。 今回の授業を通して、様々な展示の工夫を知れたり大阪の歴史を学ぶことができ、貴重な経験になりました。(2回生・森川芽郁)

第26回 九州西洋史学会若手部会に参加して

2024年12月1日(日)、第26回九州西洋史学会若手部会がオンラインで開催され、私は「17 世紀末ニューイングランド植民地におけるセイレム魔女騒動の拡大―裁判資料の分析を中心に―」という題目で報告しました。報告会への参加を通して、内容をまとめて発表することだけにとどまらない経験が出来ました。卒業研究の中で一番言いたいことは何なのか、そして、それを伝えるためにどのように内容を組み立てるべきなのか、ということを深く考える切っ掛けになりました。また、発表に対してたくさんの質問をいただいたことで、無意識の先入観や見落としていた観点に気付かされました。発表だけでなく、その準備においても、学ばされることがとても多かったです。(4回生・井上結稀)

基礎演習IIのフィールドワーク@丹波篠山城下町

2024年11月10日、基礎演習Ⅱの一環として、私達1年生は丹波篠山を巡見しました。場所は主に城下町の重伝建地区(武家地と商家町)と篠山城跡です。当日は雨予報を覆して見事に晴れ、気温もちょうど良く、絶好の巡見日和でした。巡検は基礎ゼミのメンバーに分かれ、各班が自由に実施しました。私は歴史美術館に展示される過去の京や東海道周辺を描く大きな地図がたいへん見応えがあり見入ってしまいました。また、篠山城跡の石垣は想像以上に迫力があり実際に見て驚いた学生も多かったと思います。この篠山城は大坂城と豊臣恩顧の大名を分断する目的で築かれたそうです。現地に赴き自分の目で見て、感じてみることをこれからも大切にしたいと思いました。(1回生・佐々木彬人)

各ゼミの巡見ルート(後日に地理学の諸問題Ⅰの授業で作成)

髙田ゼミ、高知へ

高田ゼミの2・3年生は、2024年9月13・14日、高知を訪れました。初日は、高知県立高知城歴史博物館で高知城と高知を治めていた山内家について学びました。また、高知城では道中の石段に苦労しましたが、城塞防衛基地としての城というものに思いを馳せました。その後の高知県立文学館では高知を代表する文学作品に多数触れることができました。なかには“土佐日記”のような広く知られているものもあり、高知の文学が身近なものであることを認識しました。夕食は、土佐料理 司 高知本店で皿鉢料理をいただきました。高知の海の幸が所狭しと並び、五感だけでなく心までも満たされました。2日目は桂浜と高知県立坂本龍馬記念館を訪れ桂浜の絶景を楽しみ、幕末史についての知見を深めることができました。 高知の歴史や文化を学ぶとともに、ゼミ全体の親交を深めることができた有意義な二日間でした。 (2回生・高橋直希) 

東谷ゼミ巡検:仁和寺・龍安寺・北野天満宮

 2024年6月15日、東谷ゼミは活動の一環として、仁和寺、龍安寺、北野天満宮に訪れました。 最初に訪れた仁和寺宸殿では、東谷先生の解説を交えながら上段の間の折上格天井を見ました。授業で御殿建築については学んでいましたが、実際に見ることができ良い経験になりました。 龍安寺の石庭はとても美しく、外国人の方や修学旅行生など多くの観光客で賑わっていました。写真で何度も見ていましたが、シンプルな中にも力強さを感じました。世界遺産として文化の違う海外の人にも伝わるものがあるのでしょう。龍安寺から北野天満宮へ移動の途中で洛中洛外の境を見ました。地図上の線ではなく、川を境に土地の高さが変わっており、一目でわかるようになっていました。 最後に北野天満宮を見学。北野天満宮は菅原道真公を祀っています。地元に天神さんがあるため親しみを覚えました。本殿の欄間は孔雀や牡丹などの彫刻が施されていました。非常に美しく、総本社にふさわしい装飾だと思いました。参加者の多くが学業成就をお願いしていたことと思います。 今回の巡見では普段授業で習っていることを再確認でき、先生の解説で新たな発見もあり貴重な時間を過ごすことができました。(2回生・下中来夏) 

新見ゼミ、大阪巡検

私たち新見ゼミでは、2024年5月25日に大阪天満宮と東洋陶磁美術館で巡検を行いました。大阪天満宮は、菅原道真公を祀る由緒ある神社です。また、東洋陶磁美術館は、中国陶磁をはじめとして韓国陶磁・日本陶磁などが鑑賞できる美術館です。新見ゼミはアジア史を主に研究する人が多いので、今回の巡検で研究対象について知見を深めることが出来ました。特に東洋陶磁美術館では、作られた時代や国などの背景によって、陶磁器にも様々な特色があるのだと感じました。また、重要文化財や国宝に指定されている陶磁器も鑑賞することができたので、大変貴重な機会になりました。(3回生・廣尾格)   

※添付は、巡検の前にはゼミの班で作成したパンフレットの一部です。巡検中はワークシートを使って中国陶磁器の特色を学びました。

2023年度卒業論文・柳 天乃(鳴海ゼミ):和紙コレクションの整理と評価

甲南大学文学部歴史文化学科に所蔵されてきた「和紙コレクション」の整理及び評価を行った。この「和紙コレクション」は和紙184点333枚及び関連資料群から構成され、既に詳細な経歴が不明となってしまった資料群である。学科では和紙研究者として知られた寿岳文書が本学在籍時に残したものとも伝わっていた。関連資料群を手掛かりに調べた結果、本学文学部教授・和田邦平とそのゼミ生・瀧川吉則の両名が基幹となって収集したことや、その収集時期が昭和45(1970)年頃であったことを推測した。当時は民芸運動に後押しされた伝統工芸の保存運動が盛んな時代であった。こうした背景を踏まえつつ「和紙コレクション」に対して、資料群全体及び和紙資料一点ずつを評価した。そして整理作業の結果、目録を完成させることができた。今回の成果が、これからの保存や参考資料として活用されることを期待している。

和紙コレクションの収蔵状況 筆者撮影(2023/01/04)

2023年度卒業論文・畑匡洋(鳴海ゼミ):兵器を伴う忠魂碑の景観形成

本論では「兵器を伴う忠魂碑の景観」を研究対象として、その景観に関係する史料群から景観作成の社会システムと広がりを明らかにすることを目的とした。はじめに本論で使用した「忠魂碑と兵器」の史料群の史料論的視角からの考察、そしてこの景観に使用される兵器が処分される兵器=「廃兵器」であることを明らかにした。次にこの史料群の考察を基に、廃兵器が忠魂碑に備え付けられていく時の地域社会や海軍機関の働きやその実際のプロセスを明らかにした。この景観が出来上がり広がっていく要因として、社会制度面での忠魂碑と廃兵器の関係性、在郷軍人会の働き、効率的で合理的な仕組みの社会システムの構築、が背景にあったことを指摘した。なお、本論は「兵器を伴う忠魂碑の景観作成」の前提知識・条件として位置づけられる。

忠魂碑:「忠魂碑」意賀美神社・大阪府枚方市 1928(昭和3)年 11 月建立 筆者撮影(2023.11.8)
史料:「廃兵器無償下付の件 40 口径 12 糎1号徹甲弾 10 個」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C04016346800、公文備考 兵器7止 巻 92(防衛省防衛研究所)

2023年度卒業論文・山城文乃(中町ゼミ):イランのアジール—ゴム市におけるバスト慣習について

イランにおける聖域避難の慣習「バスト」を、ハズラテ・マースーメ廟擁する聖地ゴムに限定することで、時代ごとの姿を明らかにし、また都市の発展と関連づけて考察した。慣習は古く13世紀イルハン朝期にその事例が史料上に見られ、その後もカージャール朝の時代までは確実に引き継がれていた。避難を成立させる聖域の不可侵性はイラン地域を支配した歴代の王朝に認知され、またシーア派聖地として聖廟を含め、ゴム市には多大な後援が行われた。これを背景とする都市の発展とバスト慣習の継続及び流行は相互作用していたと論ずる。

シャルダンの見たゴム(シャルダン『ペルシア紀行』岩波書店1993年より)

新見ゼミ、奈良巡検

私たち新見ゼミは、2024年1月13日に奈良公園周辺でゼミ巡検を行いました。新見ゼミはアジア史を研究対象とする人が多いですが、この巡検では奈良公園・興福寺・奈良国立博物館・春日大社・東大寺など、日本の歴史を眺めることができる建物を多く見学し、普段とは違った分野に触れることができました。特に、奈良国立博物館で見た絵画の中に鹿がたくさん描かれていて、古くから鹿が人々にとって身近で大切な存在であったことを、身に染みて感じることができました。また、観光に訪れている人はほとんどが外国の方で、世界的に見てもこんなに近い距離で鹿と触れ合える場は貴重なのだなと感じました。 今回の巡検は、現在まで残っている日本の歴史的な文化財や建物を直接見学することができ、日本史についての学びを深める機会になりました。(2回生・堀内空弥)